パズル作家座談会 第7回

インタビュー作家座談会

ニコリのパズル今昔物語

今日はおらけさんゆーたんさんに集まっていただきました。どちらも小学生のころにニコリに出会ってしまい、以来20年近くニコリとともに歩んできてくれたパズル作家です。そんなおふたりに、ニコリのパズルの昔と今について語っていただきます。ニコリからはスタッフの(金)と(竹)が参加しました。

(竹)今日はニコリのパズルの昔と今の移りかわりについて話したいと思います

おらけこんなテーマなのに、平成デビューのふたりがゲストでいいのかな(笑)。でも、今nikoli.comやケータイで作家をやっている人で、昭和から続けている人はあかしょうさんくらいですか

(金)そうかもしれないですね。だって、昭和ってもう22年前ですよ

ゆーたんそうですよねー。すっかり昔になっちゃいました

おらけボクが作り手としてデビューしたのが『パズル通信ニコリ』39号(1992年あき分)です。ゆーたんも同時期で、ボクが中2、ゆーたんが中1だったんだよね

ゆーたん作りはじめたのは小学生のときです。そういえば、この前、(ま)(ニコリスタッフの名前です)にも、もうそんなに歳くったんだねーって改めていわれました。昔からのニコリスタッフからすると、ボクらはいまだに中学生、高校生のイメージが強いのかもしれない

(竹)そんなおふたりも今はもうアラサーとよばれちゃう年齢です。パズルの作りかた、作風はなにか変わりましたか?

おらけ昔はやんちゃでしたね。今は枯れてきました(笑)

ゆーたんボクも同じです

おらけでも、ゆーたんの昔のパズルは、やんちゃというより、純朴で無垢な感じがしたよ。どちらかというと、今のほうがムチャしているよね

(金)確かにゆーたんさんは最近ムチャしてる問題が多いですね。いい意味で

おらけ前衛的な作品がけっこうある

ゆーたんうーん、昔の自分の問題が純朴だったという自覚はあんまりないなあ。解き手のことを今ほど考えていなかったというのはあります。自分の好きな問題を作っていた。それが純朴に見えるのかな

おらけゆーたんって、昔の問題にはぜんぜん難しい問題がないよね。そこがボクと違う。ゆーたんは成長してから難問を作るようになったけど、ボクは昔から難問が多かった

(金)中学のころのおらけさんのスリザーリンクなんて、ぜったい載せられないようなものばかりだったような気がします

ゆーたんでも、昔のボクの問題は、たぶん今だと難しい難易度マークをつけられてしまうものが多いかもしれないなって思っています。今って、解き手にうまく『見せる』パズルが多いんですよ。必要な手筋が見えやすいように考えられている。たとえば、ぬりかべで左上から順に解けていくようになってるとか。今はそのへんを意識して作ることが多いんですけど、昔はまったく考えていなかったです。ちょっと前の話になりますけど、『スリザーリンク名品100選』(ニコリのスリザーリンク作家たちが、自分のスリザーリンク作品の中から自選した問題を100問掲載した本。文藝春秋発行)が出るときに、ボクがいちばん初めに作ったスリザーリンクを自己推薦したんですよ。カンタンな定理しか知らない状態で作った問題。『0』とか『3』とかがムダにたくさん入っていて、たぶん今だとぜったいにこんな配置はしないよ、って問題です。でもボク自身はそういうのもおもしろいと思っているので推薦しました。結局、採用はされませんでしたけど

おらけ昔は全体的にそういう問題が多かったよね。数字の配置がメチャクチャで、ただいちおう点対称配置にはなっているというような

(竹)やさしい手筋をたくさん詰めこんでいるので、親切な問題、ともいえるんですけどね

おらけボクは難問しか作っていないと思われているフシがありますけど、いちおうカンタンな問題も作っていたんですよ

(金)そうですね

ゆーたんでも、イメージとしては難しい問題ばかり作っていた印象

(金)おらけさんの場合、最初からまわりにパズル仲間がいたから難問が多かったんじゃないかな。パズルを始めたてのころって、難しい問題ほどすぐれた問題、っていう価値観に流れやすいですよね。仲間内で『これが解けるか!?』っていう競争意識で作ると、どんどん難しいほうにエスカレートしちゃいますよね。ゆーたんさんはそういう意味のパズル仲間っていなかったんですか?

ゆーたん青森のイナカで友だちといっしょにパズルを解いたことはあります。でも、基本的にはひとりでやっている感じでした。相手がいて、その人にこういうふうに解いてほしい、と考えるようなことはなかったです。たとえば、最近のスリザーリンクで、あるところから線がどんどんのびていって最後につながる、といった感じの問題があるじゃないですか

(竹)複数の輪っかを閉じさせないように、ひたすら線をのばしていくタイプのスリザーリンクですね。テンポよく解けることが多いですね

(金)坂本伸幸さんが得意なパターンです

ゆーたんボクの作ってきたスリザーリンクにはそういうのがまったくない。どの問題も、今解くとひたすら重いんですよ。『見せる』ことがあまりうまくできていない。今は『見せる』ことを念頭に置いて作るようになりました。でも、そうすると作るときの制限が自分の中で増えてくるんです。『はたしてこの作りかたでいいのか?』と悩むこともあって、アンチテーゼ的にできたのが、さっき話に出てきたムチャしている問題なのかもしれないですね

おらけ確かに、逆に今、自分が昔作っていたような作風の問題を作ろうとしても無理かもしれないね。なんかどっかで理性みたいなもの働いちゃうよね。ぜったいに昔っぽいのを作るぞ、作るぞ、作るぞ、って最初っから最後まで自分に言い聞かせないと

ゆーたん途中で気が抜けたら、いつも作っているような問題になっちゃう。こういう話をしていて、ひとつ思い出しました。最近ペンシルパズル本の『カックロ27』を解いたんですけど、あの最後の問題、あれがとてもおもしろかったんです。なんというか、とても泥くさくて。今のカックロって、『一通りに分解できる計』どうしを上手にからませて、気持ちよく解ける問題が多いじゃないですか

おらけボクもここ10年ずっとその方向でやってきましたね

ゆーたんでも、あの問題はすごく手筋が見つけにくいんですよね。今の自分だと制限がかかってぜったい作れない。でも、ボク個人としては今でもこういう泥くさい問題もおもしろいと思っています

(金)カックロは、いかに洗練させていくか、という方向で進化してきましたね

おらけカックロに限らず、あらゆるパズルがいろんな面で洗練されてきたよね。インターネットとかで情報が氾濫しているのも関係しているのかな、と思うんですけど。このまま、パズルの向かう方向はみんないっしょになっちゃうのかな、ってここ数年、思っています

ゆーたんそうそう

おらけでも一方で、nikoli.comの問題を見てるとそうでもないのかな、とも思います。作家みんな、それぞれやりたいことをやっている。カックロなんて、もうとっくの昔に完成したものだと思っていたのに、いまだに新しいタイプの問題が出てくる

ゆーたんぜったいこんなの思いつかないよ、という問題がどんどん出てきてるよね

おらけ最近の作家のバイタリティってすごいよね。ボクなんかはもう手持ちのテクニックだけで勝負してるんで

(金)いやいや、おらけさんも冒険してるじゃない。こないだ送ってきた四角に切れの問題もそうとうチャレンジングだったぞー(笑)。おらけさんは今でもおらけさんです。それに、nikoli.comのほかの作家の問題でインスパイアされているところもあるんじゃない?

おらけそうかもしれないですね

(竹)さっき、インターネットによる情報の氾濫、という言葉が出てきました。ここ十数年のうちにインターネットはずいぶん普及しましたよねえ

おらけほんと思うんだけど、今の世の中って『情報』がありすぎですよね。ネット上でのパズル活動もずいぶんさかんになってる。今の大学生世代って、パズル同好会のサイトとか、個人のブログとかで交流しているんですよね

(金)(竹)も10年前くらいに、ネット上で個人でパズル活動をしてたよね

(竹)やっていました。ネット上に、パズルについて話す掲示板を立てたり

おらけボクもその掲示板に書きこんでるひとりでした。でも、そのときのやりとりと今のやりとりって、似ているけどちょっと違うなあと感じます。今の交流って、画面の向こう側の人がぜんぜん見えないんです

(金)そうかもしれないですね

おらけ最近の作家の問題って、最初から質が高いですよね。それって、パズルに関する意見とか、感想とかが先に手に入るからじゃないかなって思うんですよ。ボクらの若いときって、とにかくガムシャラにやってみるしかなかったよね。他人の感想なんてわからない。ニコリが求めているものやニコリが考えていることも最初はよくわからない。自分たちが楽しいようにやるしかなかった。ゆーたんもそうだよね

ゆーたんそうそう。そうだった

おらけそのうちに、放談会(ニコリの読者が集まって話したりゲームしたりする会)に参加したり、ニコリ事務所に訪問して話を聞いたりして、いろいろな人と話をしながら、ニコリの考えがちょっとずつ入ってきた

(金)そして、作る問題へも少しずつフィードバックされていくんですよね

おらけそうですね。そのうちに、自分からいろいろ意識できるようになりました。でも今って、そういう情報ができあがっているところからスタートできるんですよ

ゆーたん今小学生だったら、『パズル通信ニコリ』38号に載った問題なんて作っていなかったかもしれないですね。nikoli.comもあるし、ネットで探せばパズルに対する評論とかも読めちゃうし。これはいいんだのこれは悪いんだのという制限が作る前から自分の中でできちゃう

(金)でも、ネット上で見つかる評論じみたことって、あくまで個人の感想なんですよね。ニコリの考えとは違うかもしれない。ニコリは出版社ですから、本として出した内容で勝負するしかないんです。読者はブログなんかで自由に感想や意見を書いて発表できるんですが、ニコリとしては、どんな批評でも甘んじて受けなければならないんです。発信する側の宿命ですよね

ゆーたん今のボクだと、いろいろな意見がある、というのはわかるんですけど。小学生だとそこの考えに行きつくかどうか。ニコリを最初に好きになったときには、当然まだニコリの考えなんてわからないじゃないですか。その中でニコリを好きになって、ネットで調べて、たまたま最初に見た誰かの評論を鵜呑みにしてしまうんじゃないかって不安になります

おらけなんか、ネット上で『ニコリのスタンス』といわれているものが認知されているじゃない?

ゆーたんありますね。『ニコリはこうだ!』という謎の基準が

おらけ今の世の中って、ネット経由の『又聞き』だけで成り立っちゃうんですよね。みんなが勝手に作りあげたイメージで、パズルの可能性を狭めてしまっている気がします

(竹)ちょっと怖いですよね

ゆーたん今の小学生、中学生の作家は、ちゃんと泥くさい問題を作ってくれるのかなあ? ぜひ作ってほしいなあ


(竹)ニコリとつきあってきて、今どんな思いでいますか?

おらけよくも悪くもニコリで人生が変わりました。それは間違いないです

(金)ニコリと出会っていなかったら、どうなっていたと思いますか?

おらけ学校でちゃんと勉強していたかもしれないですね(笑)。ニコリと出会って、勉強よりも楽しい『頭を使うこと』ができた。頭を使うことはもともと好きだったから、ニコリがなければ、勉強がいちばん楽しいことだったかもしれません。そしたら、中高でもっと勉強していたはずなので、今より年収のよい仕事に就いていたかもしれない(笑)

ゆーたんボクは、まず東京に来ていないかもしれないです。中学のときは青森にいたんですけど、当時の青森の中学生にとっては、東京って雲の上の世界だったんですよ。おらけや、ニコリの社員は雲の上の人でした。それでもっと関わってみたいなあと思って、東京の大学を志望してみる気になったんです。今でも、こういう場で話をしていると不思議な気持ちになる瞬間があります

(金)ニコリがなくても、ゆーたんさんは東京に出てきていたような気はしますけどね。でもうれしい

ゆーたんニコリを始めて、パズルだけでなくパズル以外の世界も広がりました。今でもそうです。こないだ、通っている英会話学校でとある有名な方といっしょのクラスになったんですけど、その人にこちらのことを覚えてもらえたんですよ。レッスン中にたまたま数独の話題になって、問題を作っていると話したら、なぜかまわりからもちあげられちゃって(笑)

おらけボクも最近似たことがありました。自分の結婚披露宴の司会をしてくれた方が、たまたま数独を知っていたんです。新聞に載っている問題をいつも解いているそうで。でも、うまく解けないということなんで、解き方を解説したら、すごく喜ばれました。何時間もかけて解けなかった数独が今では○○分で解けるようになりました、とお礼をいわれたり。そもそも、高校のときにニコリに出会わなかったら、たぶん(金)さんやあぶら虫さんとも会えなかったですし

(金)でも、ニコリにハマるキミたちのような人種の人たちは、どんなルートであれ、結局ニコリにハマる気がします

おらけそうかもしれないですね。どこか別のタイミングで出会ったら、結局ハマったかもしれません。そういう意味では、人生の早い時期にニコリにハマれてよかったのかもしれない(笑)

(竹)おらけさん、ゆーたんさん、今日はありがとうございました


座談会開催 : 2010年3月 2010年4月13日公開

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