パズル作家座談会 第18回

インタビュー作家座談会

パズルと自己表現

パズル作家とあれこれ語りあう、パズル座談会のコーナーです。今回のゲストはにょろっぴぃさん裄紘さん。パズル作家にとって、パズルを作ることは、どう自己表現につながっていくのだろう、という少々難しいテーマでお話してみました。ニコリからは(金)と(竹)が参加しています。

(金)裄紘さんのインタビューで、裄紘さんは、パズル作りは自己表現だ、という意味の発言をされていました。にょろっぴぃさんのインタビューでにょろっぴぃさんは、パズルはコミュニケーションをとる手段だ、と発言されていました。このあたりのおふたりの違いから話を始めましょうか

裄紘にょろっぴぃさんのインタビューを読んで、コミュニケーションをとるということは、単純な自己表現とは少し違うんだな、と思いました。相手のことを知って、それに対する自分がいるという感じなんでしょうか。単純に自分を出すだけではないんだな、と思いました

にょろっぴぃそうですね、ばくは今でもパズルは自己表現だけではなく、コミュニケーションをとる手段だと思っています。もちろん、コミュニケーションは、自分100、相手0では成り立ちませんし、自分0、相手100でも成り立ちませんよね。その中間のどこかになるはずです

裄紘私はコミュニケーションをほぼ考えてないんですよ。パズル作りは自己表現だけですね

(金)裄紘さんにとっての自己表現は、飾った自分を表現することですか、それとも、素のままの自分を出すことですか?

裄紘ぼくは、自分をさらけ出すことが自己表現だと思っています。だめなところも含めて自分ですから。以前のインタビューでは、表の自分、裏の自分というようなことを言いましたが、今では表裏という区別はなくなりましたね

(金)にょろっぴぃさんは?

にょろっぴぃぼくも自己表現している自覚はあるんですが、ぼくは、自分が好きなことを自分らしく主張する素のままのところと、飾って無難にまとめてしまうところが混在しています。パズルの種類にもよりますけど

裄紘自己表現するときとしないときがあるんですか?

にょろっぴぃあります。例えば自分にとってはナンバーリンクは表現しやすいですね。逆に例えばひとりにしてくれは視覚的に見せることが難しいので、自己表現しにくいパズルだと思っています

裄紘ナンバーリンクで自己表現できるのがすごいですね。自分はできません

(金)そもそも、パズルは自己表現しやすい媒体なんでしょうか?

裄紘パズルでなければ表現できないものって何かなあ、と考えていたんですよ。ぼくなりの結論としては、パズルだからこそ五感を超えたところに訴えるものがある、ということですね。第六感というかヒラメキというか驚きというか、言葉にできない面白さみたいなことをパズルは表現できるんじゃないか、と思っています。インパクトを伝えることができるのはパズルならではですよね

にょろっぴぃぼくは、相対的には、パズルは自己表現しにくい媒体だと思います。あまり考えずに、思いつきの一発ネタはすぐ出せるんですけどね。ある程度作って、そのパズルがわかってからでないと、自己表現といえるレベルにまでならないと思うんです。表現するまでに時間がかかりますね

裄紘それもわかりますが、ぼくは何でも表現なのかな、と思うんですよ。10x10の真っ白な盤面に、最初に何を入れるかにも、その人が現れていると思いますね

にょろっぴぃ確かにそうですね。ただ、ぼくはすべてが自己表現ではない、というスタンスなんで、できれば自分がいいと思っていることをきちんと表現したい。ただ、自分の視点でいいと思ったことが、客観的にみていいのか悪いのか、判断が難しいですよね

裄紘そうですね。パズルを作るときは、いいか悪いかは、最終的には自分が判定するしかないんですけど

にょろっぴぃもちろんそうですね。自分のスタイルを出すには、経験も実力も必要ですよね。ぼくは、表現するなら、もろもろのことをわかった上でやるべきだと思っています。パズルは、思ったようにできるようになるまでが大変なんですけど

裄紘そこまで考えているのがにょろっぴぃさんらしいですね。私はあまり考えずに、とりあえず作っちゃおうとなってしまいます。自己表現に対する考え方がだいぶ違いますね

にょろっぴぃ昔はぼくも何も考えずにとりあえず作っちゃう派でした。解き手からの評価を気にするようになってから変わってきました。自分が作りたいものを作っておしまい、では正しいコミュニケーションではないと思ったからなんですね

(竹)にょろっぴぃさんは、好き勝手に作っているようにしか見えないですよ

にょろっぴぃ好き勝手にやっているようにみえるんだけど、実は、表現しようとしているものが緻密に計算されて織り込まれている、というものを目指してます。なかなか難しいですけど

裄紘パズルは、ルールに則って解けなければいけない、というのが制約になりますね。本当はこうしたいんだけど、破綻させないためにはこうしなくちゃならないということがよくありますよね。ここらへんが自己表現しにくいところだと思います

にょろっぴぃそうですね、ルールの制約から、やりたいことができなくなることはありますね。特に数独です。作るときに自分が意図したところと違うところから解けるような問題は自分でボツにしますし。自分の意図とは違った部分が評価されるかもしれないですから、とりあえず送っちゃうこともありますけど

裄紘数独で自分を出そうとするのは難しいですね

にょろっぴぃぼくはスリザーリンクで自分が出せないんですよ。自分の中で、面白いスリザーリンクというものがいまだにわかっていないので、作ってません。ましゅもそうですね

裄紘そうなんですか、ぼくはましゅは自己表現しやすいパズルだと思います

にょろっぴぃスリザーリンクは、初めて送った一発ネタの問題を逸品館(nikoli.comの会員投票で人気のあった問題を載せるコーナー)に載せていただいたのですが、それを越えられる気がしないんですよ。あれで、もうスリザーリンクはいいです

(金)ああ、あの上下2段ずつに数字が全然入っていないやつですね

裄紘ぼくは、ましゅは、線をかなり変な方向に引かせるのが好きですね。スリザーリンクを作っているときは、暴走しやすいんですよ。自分がどう暴走していくか楽しみな部分もあるんですけど。どちらもぼくにとっては、やりやすいパズルです

にょろっぴぃましゅとスリザーリンクはふつうの問題は作れるけど、これとこの手筋を組み合わせれば面白くなる、ということが自分の中でわからないから作らないんです

裄紘自分の中でこういうのが面白い、という評価がきちんとできていないと、自己表現にはならないですよね

にょろっぴぃそうなんですよ

裄紘そのへんを自覚するようになって、面白い問題を作れるようになってきたと自分では思います。nikoli.comに問題を作るようになってからですね

(金)自己表現したいという欲求が、パズルを作るモチベーションになってますか?

裄紘今はそうですけど、最初はそうじゃなかったですね

にょろっぴぃにゃんばずさん((竹)のことです)は、読者のころから作っていて、仕事としてパズルを作ることになったじゃないですか。どうなんですか?

(竹)私は、最初は近くに解いてくれる人がいたから作っていたという部分があります。ある意味自己表現だったんですね

にょろっぴぃ解く人がひとりもいなければ、作る人はいないですよね

(竹)じゃあ、にょろっぴぃさんは、今は解く人がいるから作ってるという部分がありますか?

にょろっぴぃそれはあると思います、でも、おそらくそれだけじゃないですね。少なくとも自分の何かを表現したいという部分はあると思うんですよ。自己表現がまったくなければ、自分が作る必要がないです

裄紘なんで作るかといえば、作りたいから、としかいえないかな。存在を示したいからというのもありますね

にょろっぴぃそれは私もなくはないです。相互作用ですから。コミュニケーションと自己表現の相互作用です。コミュニケーションを優先させるべきだとは思ってます。個性は隠そうとしても出ちゃいます。それを容認する段階で、すでに自己表現だと思いますね

(竹)では、作者名が載らないパズルは、作る気にならないんですか?

にょろっぴぃ二極化すると思います。名前がいっさい載らないのなら個性を殺すように作るでしょう。パズルの種類によっては作者名が明記されていなくても伝わることもあると思うんで、伝わりそうだと思えばいつものように作るでしょうね

裄紘ぼくは依頼さえもらえば、名前が出なくても作ります。解き手を無視しているところがあるんですかね。(笑)

にょろっぴぃニンテンドー3DSの問題も作りました。単純に面白そうだったからですね。簡単な問題を多く送ったと思うのですが、お家へ帰ろうだけはここぞとばかりにやり放題でした

裄紘ぼくは、名前が出ないにもかかわらずこだわった問題ばかりを作っちゃいました。作り終わった段階で自己表現が終わっているのかもしれないですね

(金)条件を考えずに、作っているうちにただ作ること自体が面白くなっちゃうことは、ありますよね

裄紘ぼくは依頼されて作るというと、仕事っぽくなるので、自己表現ではなくなる気がします

にょろっぴぃ名前が出ない条件で依頼がくると、プロの仕事を要求されるような気がします

(竹)プロは自己表現しないんですか?

裄紘自分なりにかためられるのがプロだと思います。自分のやりたいようにやって、最低限解いてもらえるものを作れるのがプロだという気がします

(竹)好きなように作るのと、お客さんのために作るのと、どちらもきっちり作れるのがプロ?

裄紘わりとそう思います。だから私はプロじゃないですね。これ送らなければよかったと思うものもたまにあります

にょろっぴぃさらっと作ったつもりのパズルが評価されると、あれっと思います。それでも伝わっちゃうもんなんですね。7~8割は凝らない問題なんですが

裄紘にょろっぴぃさんはチェロを弾いているそうですが、チェロも自己表現ですか?

にょろっぴぃ自己表現になりえるんですが、自分を表現できるレベルに至ってないですね(笑)。オーケストラ、とりわけ中でも弦楽器は、プレイヤー個人を表現してはいけないんですよ。全体では聴衆に聞かせる表現なんですが、表現者の代表はあくまで指揮者ですから。プレイヤーは自己表現しないです

裄紘指揮棒振るだけで表現できる指揮者ってすごいですね

にょろっぴぃそうですよね。アンサンブルでは、プレイヤーの自己表現できる部分も多いんですが、ぼくはチェロではまだまだですね。裄紘さんの手品は?

裄紘へただということはわかってますが、へたなりに自己表現です。マジックの世界では自分より若くてすごいひとも多いんですよ

にょろっぴぃ編集側から見たら、パズルは自己表現されたものなんですか?

(金)編集としては、どれも作品だと思っています。だからどのパズルも作家の自己表現だと思ってます

にょろっぴぃそうですよね、安心しました

(竹)編集としてボツになる問題も解いているんですが、その問題に込められた熱い思いは理解できるんですよ

裄紘勝手に出している問題が熱いというのはわかります。熱い思いは、気持ちとして持っておきたいですね

(竹)自分も作り初めのころは、そうでした

(金)ネットに自作問題を公開しているかたもいらっしゃいますが、どう思います?

にょろっぴぃぼくはネットには出さないですね。ネットで問題を公開しても、マニアしか解かないだろうというのが理由です。もしやるとしたら、簡単な数独などを載せる方向になると思います。個人的にはマニアに評価されることには興味ないんです

裄紘ぼくは送っても載らないだろうというヘンな問題をたまに出してます。通常のサイズではない問題を公開しているんですが、間違えて投稿しないようにということと、サイズが変わるとどうなるかをたしかめたかったからです

(金)おふたりともブログをお持ちですが、パズルの話は書いてますか?

にょろっぴぃぼくはブログにパズルの話はほとんど書かないです

裄紘誰かに知って欲しいということ以外に、誰にも見てもらえなくてもかまわないから表現したいということがあるのかも。ツイッターがそれですよね。今思い出したんですけど、子どものころに変なことやってました。路上に怪しい物を置いて、それをたどると自分の家につくようにしたんです。そこにあるのは変だよね、というものを置いていったんです。路上アートのつもりだったのかなあ。それもある意味では何かしたいという表現ですね。誰かが気づいて変だと思ってくれたらラッキーという考えでしたね。わかってくれる人がいたらいいな、わかってくれる人がいるとうれしいな、というのがぼくの基本です

(竹)おしつける気がないんですね

裄紘そうです

にょろっぴぃそこはぼくのパズル作りの姿勢とは、はっきり違いますね。ぼくはわかる人にわかればいいというスタンスではないですね。そのパズルをやるひと全員にわかってほしいと思っています。自分たち内輪だけで盛り上がるのは好きじゃないんです。マニアックな問題を作っても、解く人みんながわかるマニアックでないといけないと思っています

裄紘そのカテゴリーにハマっている人だけがわかる問題は違うというのはよくわかります。だけどぼくはそこまでストイックじゃないですね。ぼくの問題は、なんらかの理由で誰かにひっかかってくれればいいんです

(金)お話は尽きませんが、もともとあまり結論の出そうなテーマでもありませんし、今日はここらでおしまいにしましょう。ありがとうございました


座談会開催 : 2011年6月 2011年7月11日公開

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